日本のロータリー
日本でのロータリークラブ設立について、ポール・ハリスの片腕としてロータリーの組織をつくり、海外拡大に情熱的に取り組んだ初代事務総長チェスリー・ペリーや、創立の準備に奔走した米山梅吉、米山にロータリーを知る機会を与えた福島喜三次などの人物と切り離すことができません。
1918年(大正7年)に、三井銀行の米山梅吉が財政調査団に加わり、テキサス州ダラスに視察として渡米しました。
米山は三井物産の現地法人 Southern Products 社の支配人として、既にダラスロータリークラブの会員になっていた福島喜三次(きさじ)の紹介で、ロータリーの存在を知りました。
米山はRCに心奪われ、福島と協力して、1920年には日本初のロータリークラブである、「東京ロータリークラブ」を開設しました。
ロータリークラブは飛躍的な発展をみせ、大阪、神戸、京都と普及しましたが、戦時中は活動を中断することとなり、1940年には国際ロータリーから脱退することとなりました。
戦後、1949年に国際ロータリー理事会が日本の復帰を決議し、再び活動が開始されました。
以来日本ロータリーの創設から100年余、活動再開から70年余のときを経て、今日に至っています。
日本のロータリークラブの拡充・発展は目覚ましく、おおもとであるロータリー財団への多くの貢献も認められ、今や国際ロータリーにおいても欠かせない存在となっております。